2019.5.8

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 2019.8.7 「風画」で土器づくりを学び、コムナーレで北奥の先史時代を考えるワークショップ

8月4日(日)は朝から、「馬場小室山遺跡フォーラム」ワークショップで、午前中はギャラリー「風画」で井出さん制作の土器の展示を見学、午後は浦和駅東口前のコムナーレ9F市民活動サポートセンターで学習と話し合い、夜は、浦和駅前の居酒屋でと、終日楽しい時を持ちました。


午前中の馬場小室山ワークショップ会場は、「クラフト&ギャラリー 風画fuga」でした。


講演に囲まれ、カフェと、陶芸や木工作家によるアート小物作品の展示と販売、そしてオーナーの井出政男氏の縄文土器個展会場となっている素敵なお店です。

「風画」での今回の井出政男氏の個展「・・遥かな縄文土器・・」は、今年も意欲的な粘土探索と土器製作&焼成実験の綿密なデータ、そして、井戸尻式土器などの復元作品に、魅了されました。

今回の新発見は嵐山町の将軍沢15か所の粘土。縄文中期の行司免遺跡との関連が注目されます。
   
(左)縄文土器復元作品の展示           土器の水漏れ実験のデータの説明(右)
  
埼玉の丘陵から得られる粘土では、粒子の粗い「飯能B」地点の粘度と、目の細かい「坂戸城山小C」地点の粘土の7:3の配合がベストとのこと。
 
(左)嵐山町の将軍沢の粘土と地形説明                 将軍沢の粘土での焼成実験の成果(右)

   
   



午後からは、浦和駅前のコムナーレ9F市民活動サポートセンターに移動。
午前中の馬場小室山ワークショップから引き続いて一番話題になったのは、縄文時代の「送り場」遺構と「2019発掘された日本列島展」に展示されていた「狩猟文土器」について。

「狩猟文土器」の不思議な文様を、後の「イヨマンテ」にあたるイノシシ祭りの「送り儀式」と解釈できるのではないかという議論で盛り上がりました。

 
鴨志田さんが提起したこの話題は、議論の結果、白神山地麓の川原平遺跡の「狩猟文土器」の文様についてで、右から「傘」の字のような地面に突き刺した立木の文様は「イナウ」(「ヌサ」・削りかけ)、方形のサークルは「送り場」、三つ又の矢をつがえた弓、その左に、犠牲として神に捧げられる小動物が読み取れました。


 この小動物は、北海道の近世アイヌの儀礼「クマ送り」では仔熊やクマの頭部付毛皮ですが、2016年12月明治大学博物館友の会で講演された瀬川拓郎氏(旭川市博物館)は、「クマ送りの起源は縄文時代で、北海道内全域の縄文前期〜晩期の遺跡では、イノシシ骨出土の送り場遺構が見られるが、続縄文時代には、イノシシを北海道に移入することが不可能になり、代わりに、墓の副葬品としてクマの石製彫刻が出現するようになる」とのことでした。


近世アイヌのイヨマンテ(Wikipediaから)
   列島展では、福島県浪江町七社宮遺跡出土のクマのような不思議な石製品もありました。
関山式期のイノシシ頭骨出土状況の図と見比べて、方形のサークルは、「送り場遺跡」であるとの印象を強くしました。


 ワークショップでは、馬場小室山遺跡の「見沼文化」と、「山田湾まるごとスクール」の「山田湾文化」が考古学でどうつながるのかのテーマの一つとして、「大洞A‘式」を見直して、北東北における縄文から弥生へ移行を再検討する試みも話されました。

 「大洞A‘式」直後には仮称「続A’式」が展開すると仮定して、それが北東北の各地域にどう展開していくのか、宮古市千鷄W遺跡を含め「砂沢式」をどう位置づけ、東北の弥生文化を見直す課題が提起されました。

 また砂沢遺跡や垂柳遺跡を「弥生水田」集落の自家消費用と考えるのではなく、縄文時代の流通網に組み込まれて翡翠や各種玉等と同様の交流品となる可能性が高いという説も興味深かったです。
 詳しくは、9/6〜8の「山田湾まるごとスクール」で学んできたいと思っています。


夜は駅前の居酒屋で恒例の懇親会

ワークショップのレジュメ2019.8.4第98回ワークショップレジュメ 

 

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