2019.1.20

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 2019.1.20新春ワークショップ(「再葬墓」の学習&故大田尭先生宅へ弔問)のルポ

1月20日(日)開かれた馬場小室山遺跡市民フォーラムのワークショップについて、蕨は急用でお休みしましたが、五十嵐さんにそのルポを寄稿していただきましたので、ご報告に代えさせていただきます。

第93回ワークショップ・ルポ(五十嵐聡江)
1月20日に第93回ワークショップが東浦和公民館で開催され、12人が参加しました。

午前中の最初の話題は鴨志田さんによる「製塩」で、すでに私が到着した時には議論が盛り上がっていました。土器の外面に付着していたウズマキゴカイを発見!したことなど、面白いお話でしたが、報告者の遅刻につき詳細は次回以降のルポでお楽しみください。

さて次は「弔いの先史考古学」ということで、まずは宅間清公さんより「埼玉県における弥生時代の所謂「再葬墓」について」発表がありました。

再葬墓は遺跡の特性からか、不時発見が多く、出土状態が明らかな遺跡が少ないとのことで、埼玉県内の比較的出土状況が判明している前組羽根倉遺跡(神川町)、横間栗遺跡(熊谷市)、須釜遺跡(春日部市)、四十坂遺跡(深谷市)、飯塚南遺跡(熊谷市)をもとに、再葬墓の土器出土パターンをT〜Zに分類されました。
(宅間さんレジュメ  「埼玉県における『弥生時代』の所謂再葬墓について」 を参照のこと。)

それによると、再葬墓から出土した土器が同じだと葬り方も同じであり、1つの遺跡の中に複数のパターンがみられるとのことです。

続いて鈴木正博さんは、弥生時代前期の横間栗遺跡から出発し、土器の出土状態から再葬墓の風習の展開について説明されました。(鈴木さんレジュメ参照)

中でも、弥生時代中期中葉の栃木県野木町の清六V遺跡は、土器(壷棺)ごとに土坑の単位が確認でき、結果として壷棺が集積したことがわかる事例で、再葬墓を分析する上で出土状況は重要なポイントであり、改めて発掘調査における出土記録の重要性を再認識する機会になりました。


午後は「弔いの現在」ということで、昨年の12月23日に100歳でご逝去された故大田堯先生のご自宅にお伺いし、ご焼香させていただきました。
ご自宅では、秘書の相馬さんがご対応下さり、先生のご霊前にご案内いただき、一人ひとり先生とお別れすることができました。

秘書の相馬さんのお話では、先生は出版等のやり残したお仕事はなく、全ての仕事を終えられて旅立たれたとのことです。
天寿を全うされました大田堯先生に心からご冥福をお祈り申し上げます。
また、今回、このような機会を下さった相馬さんに改めて感謝申し上げます。




ワークショップの
レジュメ2019.1.20 第93ワークショップレジュメ
 
資料 「埼玉県における『弥生時代』の所謂再葬墓について」

 

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