2020.1.25

113
2020.1.19  「馬場小室山遺跡の学び舎」第101回
フォーラムを 埼玉県博「縄文」展からスタート


馬場小室山遺跡と向き合って15年、そして100回の出会いが過ぎて

 2004年12月の開始以来から馬場小室山遺跡と向き合い続けてきましたが、2011年には3.11東日本大震災を経験し、馬場小室山遺跡の契機と同じく、現代社会が直面する問題に目を向けるところとなり、陸中・山田湾との交流が始まりました。
 そして15年が過ぎ、2019年年末の12月28日、「馬場小室山遺跡フォーラム」の第100回ワークショップを終えることができました。
 第101回からは改めて「ちがう、かわる、かかわる、つながる」というパブリック・アーケオロジーの精神を再認識すると共に名称を見直し、「馬場小室山遺跡の学び舎」と変えて、馬場小室山遺跡への寄り添いながら、、自由に学び合う共通の場とし、地域の直面する問題を深掘りし、郷土の誇りとして還元する活動をスタートさせました。

「馬場小室山遺跡の学び舎」第101回の午前中は、埼玉県立歴史と民俗の博物館へ

 すっきり晴れた青空のもと、、大宮公園の埼玉県立歴史と民俗の博物館へ。
 「馬場小室山遺跡の学び舎」第101回フォーラムの午前中の催しとして、企画展「縄文時代のたべもの事情」を見学しました。
 埼玉県内遺跡から出土する貝や魚骨、獣骨、亀形土製品、木の実や獣面付土器やマメが練りこまれ「マメ土器」など、また東博から帰ってきた真福寺貝塚のみみずく土偶など、楽しく拝見しました。
 特にイルカの骨や、(私の住む千葉県では中期といえば加曾利Eと阿玉台ばかりであまり見ない)勝坂式の装飾付きの完形土器、また亀形土製品の類品2点もあって県指定の典型品と比べられたところなど良かったです。
 
 
 
 埼玉県立博に行くたびに、圧倒されてくるのは、地下階吹き抜けロビーの板碑群。
 日本一の巨大板碑や精巧な弥陀三尊像など彫られた板碑、文字がいっぱいの題目板碑には、中世武士の信仰心と不思議な勇気が伝わってきます。

     

午後からは東浦和公民館でのゼミナール形式の学習会

午後からは東浦和公民館へ移動し、ゼミナール形式の学習会を行いました。

1.宅間さんゼミ : 埼玉県における弥生時代後期から古墳時代初頭の方形周溝墓を解説。方形周溝墓の立地と形態分類(四隅切れから前面ハ字切れ型へ)、周溝墓の出土遺物、集落との関係などを話されました。

2.菊池さんゼミ : 「千葉県における古墳時代のはじまり」について、2~3世紀の千葉市戸張作遺跡の土器整理過程で見えた移入された土器とその受容。古墳時代開始時期の県内他地区(柏・市原・君津)の遺跡と比較して「時に流れは同じでも地域によって開村等の原因に格差がある」の「自説」を展開されました。
  
レジュメ参照

3.下山さんゼミ  :「古墳とは何か」(=大塚初重先生・白石先生の定義)、古墳の編年と形態についてのレクチャー、そして問題点として、高句麗系の影響、そして5世紀後半~6世紀前半の倭の社会関係の変化が根本的なものであったことなどを提起されました。

4.そのほか、三陸の山田湾の弥生時代が古墳時代に移行しないのはなぜか? (北限の古墳は宮城県大黒森・熊野堂古墳)栗原の入の沢遺跡の土器群の紹介などの提起がありました。 
 
 

夜は、東浦和前の居酒屋で懇親会。魚が美味しいお店でした。






 フォーラム レジュメ  ⇒第101回(2020.1.19)  



inserted by FC2 system