2018.9.8
102-4
2018年第6回「山田湾まるごとスクール」第3日目
-震災7年目改めて学ぶ三陸の海と街 そして歴史-
Ⅴ 第3日目 9月3日(月)
最終日の3日目の午前中は、内湾の山田湾と外海の船越湾を結ぶ船越低地に面した浦の浜・田ノ浜地区のクク井遺跡と海蔵寺、「鯨と海の科学館」を見学しました。
山田湾の浦の浜と船越湾の間の船越低地は、2011年の津波の際には水没し、一時は、太古の昔のように、外海と内湾がつながってしまうほどの被害を受け、田ノ浜の海蔵寺も船越小学校も津波で壊滅してしました。
「船越」という地名は、内湾側の浦の浜と船越湾側の港の間に船を廻す際に、危険で時間のかかる外海を航海せず、船越低地を、水路と一部陸路使い乗り越えて渡したからだそうです。
1. 船越のクク井遺跡を訪ねて クク井遺跡は、田の浜背後の小高い丘の中腹にあり、縄文時代のの集落や平安時代の鍛冶工房跡が検出されています。
現在は、度重なる津波の被害を繰り返さないための高台移転地として造成されています。
古代から中世の「小田の御所」も、この近くだったのでしょうか。
シュウメイギクが咲いていました。
クク井遺跡の調査報告書から
左:縄文の遺構と耳飾 右:平安時代の鍛冶炉
クク井遺跡から山田湾を望む
住宅造成が進む高台移転地
開発で切り倒された大樹の株に野草が咲き乱れています
2. 田ノ浜の海蔵寺を再訪
津波被害の大きかった田ノ浜の海蔵寺。遠野物語99に出てくる明治29年の大津波の翌年の伝説の舞台は、この海蔵寺付近らしいです。
曹洞宗の古刹ですが、檀家の多くも被災し、地盤の嵩上げも課題で、6年前に訪ねたときと境内の現状はほとんど変わってい ません。
昭和8年の大津波記念碑も他の石造物と共に、裏側を上に倒れたままでしたが、仮堂の前には、慰霊のための石仏がやさしく微笑んでいました。
なお、『遠野物語』の99話に出てくる明治29年大津波の翌年の伝説の舞台は、この海蔵寺付近。津波でなくなった妻が同じ里の男性の死者と連れ添って歩く姿を幻に見るという悲しい話です。
この明治の大津波の際、田ノ浜では138戸の家のうち129戸が流失、死者が483人、生存者は325人。昭和8年の大津波では流失家屋211戸、死者5名の被害を受け、高台移転が強く勧められたものの、平成の大津波でも7割の363戸が被災(全壊は324戸)しました。
山門跡から仮堂を見る。
左の小山は嵩上げ工事などのため仮置きされた土砂の山。
裏側を上にして倒れたままの昭和の津波の慰霊塔
津波被害・津波石碑情報アーカイブ 船越地区の津波石碑【岩手094】から
「不許葷酒入山門」の戒壇石
鎮魂の石仏作品「今に語り伝える祠」
大きな鐘楼の基壇
3. 「鯨と海の科学館」を見学 鯨と海の科学館へは、山田湾まるごとスクールとして、震災の翌年から6度目の訪問。山田湾まるごとスクールの成立以前の震災直後に津波被害をうけた海藻標本などのレスキューなどを通してずっとかかわってきた博物館です。
そして、2階まで津波に襲われて大変な被害を受けながら、湊館長ほか館員とボランティアの力で再開館にこぎつけたこの科学館は、今や、山田町復興の推進力となっています。
湊館長が出迎えてくださいました。
空を泳ぐ日本最大のマッコウクジラ骨格標本!
深海の謎に挑む開館一周年記念企画展
ダイオウイカとマッコウクジラの対決が見もの。
なぜマッコウクジラが深海に潜れるのか、その脳の構造の説明に納得!
平成30年度の企画展「海と共に生きる山田の沿岸漁業」も開催中
民俗資料が数多く展示されています
大正2年(1713)当時の大浦のイルカ漁の貴重な写真
大正時代まで行われていた網を使った「大浦集落のイルカ漁」
科学館館長からのメッセージと、古代樹木の化石「珪化木」標本
科学館壁面の津波の高さを示す表示の下で館長さんと記念撮影
4. 「道の駅やまだ」にて
山田町の最後は、やはり「道の駅やまだ」。
お土産を買い、名物の磯ラーメンをいただきました。
道の駅には「みちのく潮風トレイル」の看板がありました。秘境をめぐる徒歩ルートが開通するのはいつになるのでしょう。⇒画像をクリック
5. 津波のすさまじさを伝える大槌町役場旧庁舎
山田町にお別れして、釜石駅までの帰路、津波で町民と役場職員が大勢犠牲になった大槌町役場の旧庁舎に立ち寄り、亡くなった職員と住民の皆さまのご冥福をお祈りしました。
現在、足場が組まれている状態の町役場旧庁舎の解体工事を巡って、保存を求める町民の住民監査請求は、今年の7月9日に否決されたそうです。
大槌町役場の旧庁舎
左:津波襲来時刻を示す大槌町役場の時計(長針が折れてなくなっている 安井さん撮影) 右:庁舎前の祈りの祠と地蔵像
大槌川河口を締め切る防潮堤
6. 新花巻駅前で再会を期して解散
大槌町を後に、一路釜石駅へ。
さらにJR釜石線で新花巻へ向かい、駅前で広場で、また来夏の再会を期して、無事、解散の挨拶をしました。
お疲れ様、充実した旅をありがとう。
新花巻駅前の「愛の泉」