2017.9.6

92  2017年第5回「山田湾まるごとスクール」
    -山田町の皆様とさらなる交流を深めて-



 2011年3.11東日本大震災で被災した岩手県三陸海岸の山田町に学ぶ「山田湾まるごとスクール」も、今年2017年で第5回目を迎えました。

 今年は、台風15号と秋雨前線の接近で、お天気は不安定な予報でしたが、第一日目の9月1日の東北は快晴。
 正午に新花巻駅に集合し、総勢12名が遠野駅からレンタカーに分乗して、釜石経由で一路、山田町を目指しました。

            
   ⇒遠野から釜石への車窓から、六角牛山を望む
  
Ⅰ 第1日目
 
 9月1日(金)午後3時ごろ、山田町北浜にあるプレハブの山田町教育委員会埋蔵文化財整理室に到着。
 待っていてくださった山田史談会の皆さまと一緒に土器片の見方や施文の方法などについて、斎藤弘道さんの丁寧なを受けた後、昨年に引き続き、山田史談会会長の川端弘行先生が蒐集された土器のコレクションの分類整理を行いました。
    
川端先生蒐集の縄文土器の分類にあたって、縄文の施文の原理を斎藤弘道さんに説明していただく。

縄文だけの施文の土器、無文の土器、縄文以外の文様のある土器に分類する作業は、山田町史談会の皆さんも、興味津々でした。


   
 左:山田史談会の川端弘行会長     中:山田史談会の皆さん     右:史談会と葛飾考古学クラブのメンバー

        
いろいろな施文の土器

   
一時間半ほど、分類作業。コンテナーに詰めて、続きはまた来年。

 今回は3回目の整理作業では、斎藤弘道さんの丁寧なを受けて、縄文原体とその施文に注目し、縄文だけの施文の物、無文の物、縄文以外の文様のある物に分類。 その量、3箱20袋でした。 

 また、土器片の整理作業後は、川端コレクションに土偶の脚が見つかっていることから、安井健一さんに土偶ついて、講義してもらいました。
 大分県の旧石器岩戸遺跡の素朴な岩偶や縄文前期の三角やバイオリン型の素朴な土偶から、縄文後期の函館の国宝中空土偶まで、有名な土偶を例に、その変遷がとてもわかりやすく説明され、山田史談会の方からも質問が出て、盛り上がりました。
 
終わってから、全員で記念撮影。
背景の防潮堤は工事が進み、山田湾はもとより、霞露ヶ岳などの山々も見えにくくなっていました。

右は、車窓から夕暮れの山田湾


 文化財整理室での作業が終わってから、夜は、山田駅前の居酒屋さんで、山田史談会との交流会
 5年間の交流を通して、すっかり顔見知りになった山田史談会の会員の皆さまと、打ち解けた歓談の時間が過ぎていきました。
   

 山田町中心部市街地は、盛土でかさ上げされ、お店や復興住宅の中層住宅もできて、ニュータウンの趣きですが、「山田町駅」ロータリーと言っても、山田線は再来年開通とのことで 跨線橋の階段と「山田駅前」のバス停だけ。駅舎と線路はまだでした。
   

Ⅱ第2日目 午前の部

 山田湾まるごとスクール第2日目の9月2日(土)、午前中は、山田町北浜老人クラブとの、午後は大浦地区仮設住宅の皆様との交流会。その合間に、小雨でしたが、山田町の復興状況や遺跡を視察しました。
 まずは、北浜町の大杉神社里宮へ。今月中旬の大祭を前に流された鳥居を再設置されていた氏子の方にお話しをお聞きしました。
 山田町大杉神社は、茨城県の「あんばさま」の海河守護の大杉大明神を勧請した祭神、関東から東北の東海岸の漁民の信仰をあつめている神社です。
   
2日目の山田湾。朝から小雨、時折、風も出て、残念なお天気です。
   
左:津波被害が大きかった北浜の大杉神社里宮で、唯一残った石製鳥居。
右:津波で流された金属製鳥居の再設置作業中。9月17~18日の大祭に間に合わせる予定だそうです。


 その後、北浜の山田北小学校裏の高台の眺めの良い「房の沢古墳群」跡に登りました。
 三陸縦貫山田道路建設工事に伴う平成8~9年の緊急発掘調査では、35基の古墳と馬の墓が見つかり、蕨手刀や馬具、鉄づくりの遺物などから、蝦夷の首長クラスの墓とみられている遺跡です。
   
山田北小学校裏の「房の沢古墳群」跡、霧雨に山田湾の海が霞んで見えます

 山田湾まるごとスクール二日目の午前10時からは、北浜の関谷林業担い手センターでの山田町北浜老人クラブとの交流会に臨みました。
 埼玉で山田町被災地支援活動をしている宮北会とのご縁で、昨年は震災の証言と記録を綴った『浜よ、ふたたび』の冊子を出版された山田町北浜老人クラブの東海林和彦事務局長ご夫妻ほか数名の会員と、親しく津波被害の話をお聴きする機会がありました。
 今回は、たくさんのクラブ会員の皆様に集まっていただき、昨年お聴きした震災のご経験談と『浜よ、ふたたび』読んでの感想などをまとめた『北浜老人クラブ・山田湾まるごとスクールの交流記録』の冊子を皆さまに贈呈しました。
 
   
 交流会では、山田湾まるごとスクールスクールからは、五十嵐さんが「房の沢古墳群」などの北浜の歴史と遺跡の話しをスライドで紹介、老人クラブの方が作られた縄文土器レプリカを使った考古学教室の開催しました。
 北浜の遺跡や歴史に詳しい皆さまからは、房の沢古墳群発掘調査時に立ち会った時のお話や、製鉄遺構にともなう「かなくそ」が出土する事などをお聴きし、また古代蝦夷の首長が大切にした馬と古墳との関係などの質問もあり、充実した教室となりました。
   
   
  「房の沢古墳群」などの北浜の遺跡の説明、右は房の沢古墳群出土の刀剣のスライド
   

東海林事務局長の奥様冨美子様が造られた縄文土器。津波で口縁部の一部が欠けてしまったそうですが、見事な作品です。
この作品を手に、斉藤弘道さんが縄文土器の説明をしました。

 遺跡や土器の話が終わって、山田町北浜老人クラブの皆さまが材料から手作りした昼食をいただきました。
 その後、皆様の踊りをご披露いただき、また私たちも山田音頭を一緒に踊り、最後に東海林様と「山田旅情」を歌いました。
 大震災、家や親族・友人を失った悲しみにも負けずに、活発な活動をされておられる北浜老人クラブの皆さまには、
交流会を通して、困難に立ち向かう勇気と、親密な扶助の精神を学ばせていただきました。
   

   

   
一緒に「山田音頭」を踊り、東海林さまと「山田旅情」を歌いました。

Ⅲ 第2日目 午後の部

 二日目(9月2日)の午後は、船越半島の小谷鳥と大浦へ。
 外海に面した小谷鳥地区は山田町でも津波の被害が大きかった地区で、今日も台風15号の影響で波が大きく打ちつけています。漁港には大堤防が完成していました。
 大浦の川半貝塚をその上に完成した高台の住宅地から眺めてから、毎年おじゃましている大浦仮設住宅の集会所で、川端先生と大浦地区の皆様との交流会にのぞみました。
   
津波の脅威を物語る小谷鳥漁港と完成した大堤防
 大浦地区仮設住宅の皆さまとの交流会では、川端弘行先生から、江戸期の山田の絵図や外海に面する洞窟内の大網観音の写真など貴重な資料を見せていただき、その後、昨年実施した明治29年津波被災後の居住地移転調査の結果を説明し、今回は、2011年津波の後の居住地移転調査を、グループごとに行いました。 

 2011年津波の後の居住地移転調査では、私は小谷鳥地区の一軒毎の聞き取りを担当しましたが、多くの家が被災し、21軒中6年間でこの地区内に留まったのは11軒。 そのうち3軒が、地区内に移転しましたが、その地は割畑沢遺跡で、先史時代の住居跡! やはり昔の人は安全な場所に居住していたということに、納得させられました。 
   

   

大浦の皆さまと記念撮影
お土産のたくさんいただき、来年もお会いしましょうと約束しました。
 

 交流会の後 大浦からの帰り道に、城館跡と言われた田の浜地区の高台住宅地に寄り、田の浜漁港を眺めました。

 夜は、例によって小料理屋さんでまるごとスクール参加者の懇親会。

 終日、小雨でしたが、充実した有意義な一日でした。


Ⅳ 第3日目 

 三日目(9月3日)の朝は快晴! 

 田の浜の高台から、山田湾を眺めたのち、津波で被災した後、6年ぶりにリニューアルオープンした「鯨と海の科学館」を見学しました。

 再開館に尽力された湊館長のレクチャーの後、3Dシアターで「生命体としての海」を鑑賞、きれいに整備された展示室を拝見しました。

 毎年、復興へのご苦労を見聞きしてきた私たちも、開館の喜びを館長さんと共にしました。

   
山田湾と船越湾をつなぐ浦の浜の巨大な堤防道路は完成間近。科学館2階以下からは山田湾の海面は見えなくなりました。


 
湊館長から、鯨と海の科学館の沿革と、震災後の展示物や文化財のレスキュー、最開館への道のりについてお話いただきました。
この科学館の展示は何と言っても、2頭のマッコウクジラ骨格標本が圧巻です!
 
  
48歳の世界最大のマッコウクジラ(左写真)と6歳のマッコウクジラ(右写真の左側)の骨格標本

    
左&中: 6歳のマッコウクジラ(腹側と正面から) 右:48歳のマッコウクジラ正面


 鯨と海の科学館の常設展は、鯨が泳ぐドームのらせんスロープとアリーナ。

 鯨についてはもちろん、海の動植物、潜水や航海技術の歴史などの多彩です。

 南部ダイバーの潜水ヘルメットも直で見ると、たくさんの補修溶接が残っていて迫力がありました。
 
 六分儀を操作する人形もリアルで、ハッとさせられました。(館長が若いころの六分儀を操作する写真もありました。)
  


 鯨と海の科学館の特別企画展「クジラ・縄文から現代まで」の展示も面白かったです。
 企画展へのアプローチは、鯨の肋骨のアーチ。
(右の写真)

 今回の見所は大槌町崎山弁天と、山田町田の浜貝塚出土の縄文時代の鯨骨製品
、そのほか鯨文化を伝える江戸時代や近世の展示物には、面白いものがいっぱいありました。

 出口の休憩ルームには、子供向けの釣堀コーナーもありました。
   
 左:大槌町崎山弁天から出土の縄文時代の鯨骨製品(箱入り)、その右は山田町田の浜貝塚出土の鯨骨製品。
右:時代背景として展示の山田町大沢地区沢田1遺跡出土の縄文土器 スカイツリーのような土器は堀ノ内式

   
左: 全長21.0mのシロナガスクジラ  (3枚の写真を接合するほど大きい
右:江戸時代の「目くじら」の手拭い。(「目くじらを立てない」の洒落ですので立てて見る)
最後に、湊館長にお礼の挨拶をして、「鯨と海の科学館」見学を終えました。

    

 鯨と海の科学館を後に、昼食とお土産購入のため「道の駅やまだ」へ寄り、車で釜石駅に行き、釜石線で新花巻駅まで出ました。
 新花巻駅前で、解散式。 かくして、山田湾まるごとスクールの3日間の旅は終わりました。


 今回の山田町訪問の成果は、山田史談会と、鯨と海の科学館スタッフとのここ数年の交流、昨年からの北浜老人クラブの皆さまとの顔を合わせての交流がより深まったことでした。

 震災後の三陸海岸は、高台移転や復興道路建設のため、日々地形が変わり、またそれに伴い遺跡発掘による新しい考古学上の情報が数多く発信されています。
 変わりゆく三陸の風土と歴史資料の発見をリアルタイムで体感しながら、変わらない伝統と人情を大事にしつつ、これからも山田町の皆様に学んでいきたいと思います。
     (写真は釜石線の宮守〜土沢間の車窓から
   
新花巻駅前で、五十嵐さんに感謝の解散式
 お世話になった山田町の皆さま、山田湾まるごとスクールの企画実行を担当したリーダーの五十嵐さん、スタッフの方々に感謝します。 ありがとうございました。
「山田湾まるごとスクール」のあゆみ
2012年 58 大震災後の三陸被災地に学ぶ  2012.8.23~25 「ワンダートラベラー 山田湾まるごとスクール」

フォトアルバム 2012.08.23~25 三陸の旅
2013年 61 「古代の山田湾文化を知る!」第2回山田史談会・山田湾まるごとスクール交流研究集会

62 海と山と人々が語る自然と文化、そして震災復興への新たな一歩=第2回「山田湾まるごとスクール」旅の記録
2014年 71 秩父と見沼合同シンポジウム第2部 『ようこそ「山田湾まるごとスクール」へ』
2015年 72 川端コレクション縄文土器と製塩遺構に学ぶ山田湾-第3回山田史談会・山田湾まるごとスクール交流会-

76 2015夏 第3回「山田湾まるごとスクール」の旅
2016年 80 さいたま市 「第4回コムナーレフェスティバル」に参加しました

84 2016年第4回「山田湾まるごとスクール」 =被災5年目の山田町への旅

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