2017.4.4
By さわらびY(ゆみ

89 お花見がてら、氷川神社遺跡と埼玉県立博の縄文展へ

 201742(日)「馬場小室山遺跡フォーラム」第79回ワークショップをさいたま市大宮区で開催しました。
 まずはJR大宮駅に集合、初めての方を含む16名が参加し、武蔵一宮氷川神社の参道にあるさいたま市立博物館に立ち寄り、この日の見学会の見所や予定、氷川神社遺跡についての説明と参加者の自己紹介をしてから、氷川神社遺跡へと向かいました。

  


 参拝客でにぎわう参道をあるいて、武蔵一宮氷川神社に到着。
 本殿から右の脇門へ抜け、氷川神社遺跡を見学しました。
 神札授与所建設時にその一部が発掘調査された環状盛土遺構の様子を観察し、さらに神社南側から北側へと廻り、背後の大宮公園から柵越しに社叢林にの中に眠る環状盛土遺構のマウンドを眺めました。
  
        
縄文晩期の環状盛土遺構のマウンド上に建つ摂社2殿と、発掘調査対象となった新築の神札授与所(左手)
 
社叢林の中に眠る氷川神社遺跡のマウンドを観察中、手つかずの森かと思ったら、意外に最近の掘り返しの跡があらわで驚きました




     
桜が満開の大宮公園


  
埼玉県立歴史と民俗の博物館に着いて、まずは腹ごしらえです
 満開の桜で絶好のお花見中の公園内を抜けて、埼玉県立歴史と民俗の博物館へ。

 企画展『縄文の空間―暮らしと願い―』を鈴木正博さんや斉藤弘道さんに解説してもらいながらじっくり時間をかけて見学しました。
 展示された土器等の遺物は、埼玉県の縄文中期から後晩期の重要な遺跡や最新の発掘調査の成果が反映されていて、特にポスターにも使われた赤城遺跡の中空土偶など、見ごたえがありました。

 寿能遺跡馬場小室山遺跡の最新の第32次調査で出土した土器も展示されていて、興味深かったのですが、撮影禁止の上、図録がなく、また展示品のキャプションの年代表示や型式には、いろいろ疑問点があって、議論沸騰の展示でもありました。
  
     
 企画展見学後は、自由に常設展を見たりした後、ロビーで学習会。
 斎藤さんから、茨城県常陸大宮市滝ノ上遺跡出土の縄文中期の土器の変遷を学びました。

 続いて、鈴木さんから『亀ヶ岡型変相イデオロギーと「ムロさま」(人面文インダストリー論」が語る人面文土器の特徴と来歴)』と題して、亀ヶ岡型の遮光器土偶から馬場小室山51土坑の人面付土器まで、その特徴の変遷と、土偶と仮面の顔の表現の違いを伺い、制作者の意図を探りました。

  
左は撮影可の常設展展示の土偶            ロビーで学習会 ⇒ワークショップレジュメ

 


 この後、私は帰宅の途につきましたが、一行は、低地の泥炭層から縄文晩期の漆器や木製品などが出土した寿能遺跡を見学後、、懇親会へ向かったとのことです。


 右の寿能遺跡の写真と下の文章は、安井さんのFecebook記事から、拝借いたしました。
  「調整池整備のため低地を掘削したところ、縄文土器や木の実、木製品が多量に出土、関東の低地遺跡調査の嚆矢となった記念すべき遺跡。その際調査対象外となった送電線の鉄塔が建っていた区画が、鉄塔撤去後島状に残されている。」


 埼玉県立歴史と民俗の博物館の企画展では、拙速な調査終了などで問題になった2004年の馬場小室山遺跡第32次調査で出土した下記のような興味深い土器も展示されていましたが、撮影不可で図録もなかったので、参考のために、2015年3月発刊の報告書『馬場小室山遺跡(第32次)』の図版から深鉢と注口土器2点を抜き出しておきました。

 
  
 

ワークショップの資料 レジュメ2017.4.2 第79回ワークショップレジュメ

 

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